〒546-0031 大阪府大阪市東住吉区田辺3-21-5

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会社の引っ越し その3

2016年1月8日金曜日

「このマンション売るで!?」大家さん
「えっ~?!」私

体力の衰えや奥様の不調など、いろんな原因があり、管理会社に売ることを決断された。
エレベーターが無いので、1~5階を何度も登り降りするのがつらくなってきたことは奥様の口からも何度か聞いていた。
しかし、売るのはいいが、大家さんまで引っ越すとはビックリした。
大家さんは最後まで自分の築いたマンションで住みたかったそうだが、奥様や世話をするご家族のことを考えた結果であった。

年末には引っ越す予定だと告げられた私はさすがにショックを隠せなかった。
それからすぐに売却が予定通り進み、管理会社の責任者が新しい契約書を持って会社に訪れた。
目つきの悪さや横柄な態度は別として、新しい賃貸契約の内容に正直私は憮然とした。大家さんの言い出した出店話だったこともあり、家賃や保証金は納得できる額であったが、管理会社の掲示する新しい内容は納得できるものではなかった。

さらに「儲かりそうな時にいつでも売っぱらう!」となんの躊躇もなく言い放つ始末だ。
「こりゃあかんわ!」その瞬間、店舗の閉店と本社移転を決意した。

優しい大家さんが10か月分も差額を払うとまで言い出したのには驚いたが、さすがにそこまでしてもうらうわけにはいかなかった。


それから数か月。会社と同じ階の空き部屋に入居者が入った。
夫婦らしき二人は中国人であった。
それだけならいいのだが、なぜか廊下にかかっている傘が日に日に増え、10本以上になった。さらにマンションの周りになぜか十数人の中国人団体がうろつき始めた。
部屋に出入りしているだけなのか、全員住んでいるのかは分からないが、観光客ではなさそうだ。

金さえ払えば入居させるのは至極当然だ。
ただし大家さんは違った。
きっちり面談して人となりを確認して、他の入居者に迷惑がかからないようにいつも気配りをされていた。

取りあえず年末までは居る大家さんには悪いが、速攻で先に移転することを決めた。
大家さんに伝えると「え~うちより先に出るんか~!」と驚いていた。
「大家さんのおらんここには居たくない」と告げると、少しうれしそうな表情を浮かべた。

お別れの朝、5階の大家さんに挨拶に伺った。別れはいつも寂しい・・・。
大家さんは私の両肩に手を伸ばし、「元気で頑張るんやで!」と肩をゆすった。
ちょちょぎれそうな涙を我慢しマンションを後にした。

その後、大家さん家族は少し離れた場所の超でかい新築の億ションに引っ越しが決まった。それはそれは豪勢なマンションだったので私も安心しました。

いつまでもお元気で♪

会社の引っ越し その2 大家さん

取りあえず無事に写真と面接を終え、新しいマンションに本社を移転することになった。
80過ぎの大家さんは身長185cm以上、日焼けした顔に黄色のサングラス。
背筋はピシッと真っ直ぐ伸び、眼光は鋭い!
今時の老人像とは全く違う!
外で会っても会釈はしてくれるがニコリともしない。
初めの印象はこんな感じであった。

そんな大家さんが時々、事務所を訪ねてくるようになった。
実際に話してみると、とても気さくで大らか、笑顔がとても優しい方であった。
大阪市役所でかなりのエライさんだったそうで、誰でも名前を聞いたことのある大物実業家たちとは大抵知り合いで、当時の出来事や許可をめぐる騒動がとても興味深い話ばかりであった。
まるで高度成長期の日本の裏側を現実に見ているかの錯覚に陥りそうなほど、臨場感あふれる話を山ほど聞かせていただいた。

その後、60を前に退職し、いちからマンションを起ち上げ今に至るわけだ。
その間の苦労話は金を払ってでも聞く価値のある内容で、いつもワクワクしながら話を聞いていた。

マンションの構造もユニークだった。3階までは賃貸で、4~5階は大家さんの家。
6階は自称カラオケ教室兼、遊び場兼、昼寝、水浴び場。
屋上は有機栽培農園で、グーグルアースで上から見ると緑に見える。

農業から音楽、書道、東洋哲学、建築と膨大な知識にはまったくもって恐れ入った。

やがて毎年夏になると会社のドアノブにコンビニ袋が引っ掛かるようになった。
中にはキュウリやトマトがギュウギュウに詰まっている。もちろん犯人は大家さんだ!
「美味い!!」味は私の知っている限り過去最高!農産物にはかなりうるさい私も大家さんが作る野菜には心底驚いた。
うちの有機農業研究会の海老原氏や阿賀氏の作る野菜に負けていない!
やっぱり昔の一番美味しかった野菜の味を知っているからこそ、本物を作れるわけだ。
もちろん完全無農薬だ。畑も見せて頂いたが本当に軟らかで上質な土が根付いていた。

いつも神仏への感謝を大切にされていた大家さんだが、そこに至るには訳がある。結構な霊的事象を体験されていたようで、お化けの話も尽きることはない。決して誇張した話ではなく、実体験ばかりなので尚更怖い!

人相や易にも精通しており、干支の話などもたくさん教えて頂いた。
「あんた酉年やろ?酉年は空から下を見るから視点が他の人と違うんやで~」
ん~確かに思い当たる!変に納得する!
「あんたの知り合いで成功してる人の干支は何や?」と聞かれたので思い浮かべてみたところ、確かに大家さんと同じ午年の人が多い。
大家さん曰く「午年の男はだいたい凄い」そうな。中には暴れ馬もいるそうだが。
所詮、私はピヨピヨの酉年なので、大家さんの前では鳳凰やと言い張っていた。

そんなある日のこと…「1階の空き店舗で店やってみやへんか?」と大家さんが突然言い出した。吹田の店舗を閉めてから数年。次の店舗はまだもう少し先ぐらいに思っていたのだが、「安くしといたるで~」という大家さんの話につい乗ってしまった。

マンション周りの人通りが少ないのが気にはなったが、商品を直接見たい既存のお客様には喜んで頂ける。

吹田の店舗は高価な床石やガラス間仕切り、据え付け家具など、作り込み過ぎたせいで、模様替えができなくて困った経験があったので、今度は据え付け家具は一切使わない事に決めた。それだけでもコストダウンになるわけだが、それでも数百万はかかるので融資を受けることに決めた。

店舗オープン以後、大家さんは頻繁にコーヒーを飲みに来るようになり、さらに色んな事を教えて頂いた。師匠の佐々木健人先生が亡くなってから、ポカンと空いた心の隙間に、いつしか大家さんが居座るようになっていた。

昔堅気の大家さんは来るたびに、全員分のケーキやお菓子、サンドイッチや肉まん、餃子などを持ってきてくれる。店舗は忙しいと休憩時間が遅れることもあり、本当に助かった。

御恩返しではないが、大家さん夫婦が行っていたマンション共有部分や玄関ドア、マンション周りの掃除や水巻き、空き店舗のシャッターやトイレ掃除、簡単な補修などを暇な時に少しだがやらせて頂いた。

今時の管理会社の名前ぐらいしか分からないマンションとは違い、昔の長屋風の大家と店子のような信頼関係が私の性分にとても合う日々であった。

心の奥底で大家さんが生きている間はずっとここで商売を続けようかなと考え始めていた。

そんなある日、衝撃が走ることとなった。





会社の引っ越し

2015年4月24日金曜日

生まれてこのかた引っ越しとは殆ど無縁であった。
高校卒業後、南海平野線(チンチン電車)を廃止して、阪神高速と地下鉄谷町線を通すために立ち退きになった1回だけであった。
住み慣れた田辺の町から離れるのは何よりつらかった。

30歳ちょうどで吹田市五月丘東に店舗を構えた。
店舗デザインで賞をとるなど、それなりにコストをかけた自慢の店舗であった。
保証金も家賃も高額で、今思えば家でも建てれば良かったような気もするが・・・。(T_T)

やく13年ほど経った頃、通販も軌道に乗り出したこともあり、日本家屋を借り大阪市内に会社を移転することにした。
当時、古民家や和風住宅にオフィスを構えるIT関連の企業のニュースを時々目にすることがあり、つい便乗してしまった。

純和風の庭園や高級な畳や欄間、ゆったり上質な空間で静かに仕事ができ、当初は皆ルンルン気分であった。
が、予想外だったのが冬の寒さだ!
とにかく寒い!冷える!
工務店の社長が建てた1億数千万かけた家だったそうだが、畳の隙間から冷風が吹きあげてくるのだ。
そのせいもあったのかもしれないが、私が首を傷めたのもここに来てからだ。

さらに色とりどりのハーブや草花を育てる予定だった庭も、大きな庭石や手水鉢(ちょうずばち)、立派な木などのおかげで自由に植えれない。

8年ぐらいは我慢したが、移転することにした。

会社の電話番号を変えたくなかったので、同じ町内で物件を探しみたところ手頃な物件は1か所しか存在しなかった。
それもマンションだった。
私はマンション嫌いだ。
住んだこともないのだが嫌いだ。
高層マンションなんて真っ平御免。

とにかく頑丈そうで低層のマンションは1か所しか存在しなかった。
取敢えず不動産屋さんに打診したところ、大家さんの面接が必要とのこと!?
履歴書に顔写真だけでダメな場合もあるそうだ。
変わったマンションだな~とは思ったが、後になってこのご縁はとても重要なものとなった。
続く

森本十虎とのお別れ

2015年1月25日日曜日

昨日、1月24日は佐々木健人師匠の命日であった。

同日早朝、21歳の愛猫が旅立った。

朝早く妻の枕元にやってきて妻を呼ぶので、新しい水を飲ませしばらく膝の上で撫でてやっていた。
満足して寝床に戻って寝出したのだが、1時間後ぐらいに気がつくと亡くなっていた。
本当に安らかな顔であった。

ここ2日ほどあまり餌を食べなくなったので、明け方4時ぐらいまでは私がずっと付き添って相手をしていた矢先だ。
1年前ぐらいからボケ症状で、1日中、大声で鳴くのが大変だった。
3日前にいつもなら入ってこない私の寝床にやってきて、1時間ほど私の腕枕で心地良さそうにしていた。
なぜか私の目をずっと見つめる。
嫌な予感がした。
今まで旅立った3匹の猫たちも、なぜか旅立つ少し前になると私の部屋にいりびたる。
きっとお別れを伝えに来てくれているのだろう。

いつもながら愛猫との別れはつらい。
この年になってもやっぱりつらい。

へその緒がついたまま捨てられていた5匹の猫たちを、小学3年生だった娘が拾ってきたことから始まった猫たちとの生活。
大変ではあったが多くの学びも得ることができた。

たくさんの幸せを有難う。
いつかあの世で再会しよう。
 

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森本淳彦

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